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OTHER 「第225回原爆の語り部〜被爆体験証言者の証言〜」


「第226回原爆の語り部〜被爆体験証言者の証言の会〜」
日時:2025年1月5日(日)14:00〜

場所:波輝カフェ(七浦海水浴場内)
  (呉市安浦町大字安登1048-160)駐車場ございます。

参加費:大人1人1000円
尚、語り部の間は、ドリンクのみオーダーが可能です(別料金です)

今回お話してくださる方は、波輝カフェの店員の藤田さんのご紹介で、ご縁をいただきました
ありがとうございます。

【証言者プロフィール】
永井彬三(ナガイヨシゾウ)さん(84歳)東広島市在住。
1940年8月26日中国の大連(だいれん)生まれ。
1943年5月頃、広島に引き揚げる。3歳の時でした。
父は宇品神田で弟子を住まわせながら左官建築業をし、母は見習い弟子たちの食事のお世話をしていました。母は背が高くハイカラで、本当にきれいな人でした。
5歳の誕生日を直前に控えた、4歳の時に家の前で直接被爆。爆心地からの距離は約3.2km。
1945年8月6日の朝は、町内の配給をいただくため、荷車を引く母についていく予定でした。母は家の中で準備をしていましたが、永井さんは先に出て荷車の周りで遊んでいました。ピカッと光ったことは覚えていません。急に暗くなり、爆風で何かが頭に飛んできて、そのまま気を失いました。近所の人が「血もぐれになって倒れているんで、死んでるかと思ったら生きとったから連れて帰った。」と近所のおばさんから聴いてます。
そして4歳という幼心にも忘れられない光景があります。それは、被爆後数日してからの事(頭にまだ包帯を巻いていたという記憶があります。)父はどういう経緯かは分からないのですが、被爆後から持っていた船で川に浮かぶ遺体を、とび口を使って引き揚げ、船に収容し「似島」に運んでいました。その父の傍らで手伝いました。丁度、御幸橋の海側の辺りでした。その光景は、臭いと共に今も忘れることができません・・・。
「決して、あの時のようなことが無いように願っています。聴いて下さる方の中で、一人でも何かのきっかけで誰かに話してくれたら広がるわけじゃけ〜。私はそれでいい。」
今回、久しぶりの被爆証言となります。

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[被爆75年]ヒロシマの景色が伝えるメッセージ[日々のハーモニー / HIPPY]
https://youtu.be/XuNzBmhTFVI

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「原爆の語り部 被爆体験者の証言の会」ホームページ
https://426hiroshima86.wixsite.com/homepage

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【今後の予定】
2/6(木) BAR CAMEL(広島市中区薬研堀1-8)
3/6(木) BAR CAMEL(広島市中区薬研堀1-8)

2025.1.05

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